散歩師・漫画居士のくだらなクラブ日記

ども、散歩師・漫画居士っす。散歩したり実働模型作ったりが趣味なんで、その時に思いついたこととか書くッス

ハラスメントと「大きな力には大きな責任がある」--スパイダーマン

 誰でも何でも自由にしていい わけじゃない。力の大きな人は、その力のに伴った責任を負うはずだ。「大きな力には大きな責任がある」スパイダーマンは最初の話でそう伝えてる。

 そう。強い立場の人は、弱い立場の人に対して責任がある。その点は平等であるべき でない。力が強ければ、簡単に状況を覆せるし、何も変えないことも できる。ヘイトスピーチも、ハラスメントもそういう問題だ。非対称性が問題なんだ。たとえば銃を持ってる人が「出ていけ」って言うのと、丸腰の人が「出ていけ」というのでは意味が異なるよね。フェアーであっても実はフェアーじゃない。

 (もっとも、ヘイトスピーチヘイトスピーチと名付けてしまった ことで敗北が決まってた。ヘイトが問題じゃない。内心は自由だ。ヘイトスピーチじゃなくて、スピーチハラスメントとすべき だった。)

 

 今、(日本の)左の人から右の人に話しが通じないのは、これが伝わってないからだと思ってる。「大きな力には多きな責任がある」のを認めてくれない人は、そうは多くないと思う。むしろ「弱きを助ける」右の人のほうが非対称に対する怒りは大きいように感じる。そして、至るところに非対称性はある。現実として。

 

 ピーターパーカーは、メジャーとマイノリティを行ったり来たりする。白人だが両親がいない、男性だがもてないが後にもてる、学校の人気者グループには入れないが、科学の成績だけはいい、給料を貰ってるのはジャーナリズムだが右よりのマイノリティでしかもイエロージャーナリズムギリギリだで、売ってる写真は真実だがヤラセだ。ハンデを必要としてる側の人間であると同時に科学研究で身を立てる、つまりハンデ(格差)を作ってる方にあこがれてる。ハンデを埋めることを志向しつつも役得にもあずかる。直接助けられる人は直接助ける。それが力がある方の義務だからだ。でも、いつも限界を感じてる。右よりでもあるが、左寄りでもある。みんなの親愛なお隣さんを体現したキャラ。

 

 いろんな人がいたら、ハンデつけて誰でも勝てるようにしないと面白くないでしょ?スクラッチのままじゃゲームにならないよ。

 

 左側にもハンデを付けられるべきものもある。少ないが、左のほうが立場の強い分野もあるからね。