みなさん、瞑想してますか?
私は1993年くらいから断続的にやってます。
ヴィッパサナは2005年くらいからです。
と、言っても、リトリートに参加するわけでもなく、当時は本もなく、サイトで読んだ記事を、見よう見まねでやってました。
一番やってた時でも、1日45分くらい。
最近は週に1回か、満員電車で、サマタ系の瞑想をするくらいですが。
目次
最近はメディアで紹介されてる瞑想
昔は、ほとんどメディアに登らなかった瞑想ですが、2005年前後にも、に一度だけ、TVでヴィッパサナ瞑想が紹介されて、あー、本当にあるんだーみたいなカンジでした。禅以外の瞑想。
最近はgoogleが取り入れたのを引き金に、だんだんとTVに紹介されるようになって、今はブームっぽいですね。
特に気づき系の瞑想、ヴィッパサナやフローやマインドフルネス瞑想が紹介されてるようです。
なんというか、この本は、「そうそう、そうなのよ!」という事が多くて、シックリきました。

悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書)
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1) ヴィッパサナのラベリングの問題
ラベリング法、うまく行く人はうまく行くそうですが、ラベル自体が感情の強化につながるので、よくないこともあるんじゃないかと。
私自身は、妄想からある程度離れられるようになってから、観察しないと、振り回されるだけなんじゃないかとおもます。
特に、苦しみの脳回路の強化に働き、条件になるんじゃないかとおもってましたが、ちゃんとそのことについて、言及してました。
2)やっぱり応病与薬
何度か「抜苦与楽」だよ。そのためには、応病与薬、症状や今までの人生や目指すトコロにあった瞑想方法や説法が必要だよね。と。
そのためには、瞑想を習う側に、どんな瞑想があって、何に効くのか、どこに落ち着くのか?というマッピングが必要だよね。いまはそれが整備されてなくて、
瞑想でかえって苦しむという人が現れているのがこまったことだと。
教えてもらう方が、選り好みするなんて。と思われるのも恐縮ですが、やっぱり私もマッピングが必要なんだよなぁと思いました。
3)過度に集中しない
ぼくがヴィッパサナで最も驚いたのは、瞑想に浸っている状態でも。息をしたり、回りを見回したり、回りを観察できること。そして、瞑想がすすめば、多分瞑想したまま生き続ける、生活することもできる。ということ。
更に言うと、瞑想状態で生きることを勧める人すらいることでした。
この本には、過度に集中すべきでないことが推奨されていて、瞑想状態、観察モードに切り替えて生きることすらも薦めています。
実際それがgoogle的にはマインドフルネスでフロー状態なのでしょう。
そのためには、過度に集中した状態ではなく、
むしろ、瞑想状態を浅く保つことの方が重要で、それは、ボクには相性がいいなぁと思いました。
気づき(ヴィッパサナ)系の瞑想
本や雑誌では、瞑想には、大別して「慈悲」「集中」「気づき」の3種類があるというのも紹介されてるんですが、なんだか、TVでは、全てを集中瞑想として紹介されているようで、そこがちょっと気になります。
googleの瞑想の紹介を見ると、いきなり気づきの瞑想を紹介していて、集中から入ったぼくからすると「その順番だと、妄想が静まらなくて、気付きどころじゃないだろ?」と心配です。
異論もいろいろありそうですが、やっぱり王道で「慈悲」→「集中」→「気づき」の順番にやるのが近道なんじゃないかなぁと。
なんかとりとめがないですが。