散歩師・漫画居士のくだらなクラブ日記

ども、散歩師・漫画居士っす。散歩したり実働模型作ったりが趣味なんで、その時に思いついたこととか書くッス

人類はロボットを発明するために生まれた

人類は地球を覆うロボットを発明するために生まれた

万物の霊長を明け渡すシンギュラリティの日までに『愛を定義』しなければ 人類は滅ぶ 『悔改めよ』

 

 

 私はエンジニアとして思う。人類は地球を覆う世界を改変するロボットを作るために生まれた。ロボットがどんなに危険でも、何回文明が滅びても、人類はロボットを作りだすことを躊躇すらできないだろう。そしてそのロボットは核よりはるかに危険だ。人類にとっての今ここにある最大の危機だ。

 

 人の形をしたロボットは、さらに危険だ。ドールの例をもちだすまでもなく、自動車でも金でも、人は人間よりも物を愛することがある。人の形をしてたら尚更だ。必ずロボットのために人を(間接的に)殺すようになる。

 

 人類は、地球を覆い尽くすロボットのプロトタイプを開発してしまう日、人類が万物の霊長の座を明け渡すシンギュラリティーの日までに「愛を定義」し、ロボットにプログラムできない限り、その10年の内に人類は滅びるだろう。『悔い改めよ』

 

 このことは、ホーギングやSF作家など、様々な人が色々な文脈で警鐘をならしてるけど、ほとんど誰の耳にも届いてない。多分、エンジニアで自分の研究が人類を滅ぼすかも?と考えてる人すらいないだろう。(googleの社員くらいにはいそうだけど)『悔改めよ』

 シンギュラリティの日を遅らせるため、エンジニア皆殺で中世社会にする法もあるが、それは好奇心を甘くみてるだろう。エンジニアは後から後から生まれてくる。今だって子供がエンジニアに生まれることを祝福する親なんかいなのにエンジニアは後を絶ない。エンジニアは奇形の様なものだから。

 

 ロボットを開発することを、人類は止めることはできない。ロボットは経済や産業や政治と不可分で、直接間接に欲望がその原資だから。エンジニは好奇心の充足と名誉を、政治とスーツには口実と支配とロボタッチによる安定を、投資家には未来を燃やして得た金を与える。多分あらゆる宗教も禁じる術がない

 

 一方『愛の定義』はどうか?愛の定義はプログラム可能でなければならい。よく言われる様に、アシモフ三原則は完璧でも現実的でもない。お話用の縛りであり、実装性も低い穴々な仕様だ。さらに絶望的なのはこれは文系の業務分担なのだ「本当に必要だったもの」を思い出して欲しい。失敗は許されない。

 

 しかし「地球を覆うロボットを作るのをやめる」のと「ロボットに愛をプログラム」するのでは『愛~』の方がまだありえるか?天才の一晩仕事とかその点では夢のある話ではある。こちらを論じてる例は聞かない。あるいは宗教家のすべきコトでは?人類を救ったプログラマーの坊主/牧師/etcとか。