散歩師・漫画居士のくだらなクラブ日記

ども、散歩師・漫画居士っす。散歩したり実働模型作ったりが趣味なんで、その時に思いついたこととか書くッス

どうやら「だれか死ぬと思考停止するのが礼儀」だと考える人が多いらしい

昨日のパリ・テロに関しての、いくつかのtwを読んで、

 長年の疑問が一つ解けたので、メモ

 あとこれ

 

どうやら、多くの日本人が、「誰かが死んだら思考停止するのが普通で、思考停止しないのは不謹慎」という信念ないし恐怖を抱いているんだ。

 

■「だれか死んだら思考停止するのが礼儀」

多分、日本人固有ではないにしても、日本人は割合に多いんじゃないだろうか?

 

これって、日本のオタクが、知人の訃報を公開したがらない、なかなか死んだ情報が伝わらない遠因なんじゃないかと思った。

 更に、評価の定まっていない、新しいイベントの情報を流したがらないのも近い心理が働いてそう。

 

 昔知人の会社の葬式で、そこの経営者が知人に「死んだ人への給料は何ヶ月出し続けるのが通例なんだろうか?」と質問したら、相手の知人が不謹慎だ不機嫌になったことがあったが、鱗片だが理解できた。

 

■日本兵は死者に優しい

 何で読んだのか失念してしまったが、太平洋戦争時の米軍の日本人捕虜か傷病兵に関する文章に「日本人は死者に対して並々ならぬ敬意を払うが、生者に対しては過酷で無慈悲だ」とあったのを思い出した。日本兵は遺骨を作るために死ぬ兵が多い。本末転倒だと思うが。

また、鎌倉武士は元寇の時、元軍に人質をとられても意に介さず突っ込んだそうだ。

【悲報】鎌倉武士団、モンゴルより鬼畜だった:哲学ニュースnwk

 

 日本人は死んだ人間にはこころを払うが、生きてる人間には興味ない。

ISISの人質を見殺しにする感覚とも符丁する。

 

■ぼくは、人は死んだらモノだと思ってる

 一応ぼくの感覚を書いておこう。

 ぼくにとって、人は死んだらモノだ。ぼくが取る死者に対する配慮に見えるものは、すべて「残された遺族/関係者の心情に対する配慮」であって、本当は死者に対するものではない。

同時に「ウルトラマン/仮面ライダー/サンタクロースはいない」と言わない配慮も必要なんだな。

 さらに言えば、死んだ戦友からタバコや靴をくすねる日本兵は信用に足りると考える。

生きてる者こそが大事で、死者で煩うのは不謹慎だとすら思う。遺族はまだしも無関係者の心情に配慮する必要はないだろうと。

ひるがえって、自分が死んだら、当然遺品や死体は、生者が利用しやすい様に利用してください。ジビエの肉の様に扱えばいいと思ってる。そのために危害を加えなければ、遺族に不利をあたえなければ。という条件はありますが。

 

■危険!危険!

 この「死ねば思考停止癖」は為政者に利用しやすぎるので、つとめて警戒すべきだと考える。でも、

正直ぼくには希薄な感覚なのでわからないけど、きっと恐怖のような感情由来の感覚なんで、自制は不可能なんだろうなぁ