■■ 「一切皆苦」は誤訳!!! ■■!
・一切皆苦の矛盾
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-183.html
を読むと、目からウロコが!!!!
■苦って苦?
「一切皆苦」の「苦」は、苦しみと訳すのではなく「不安定で空しい」と訳すべきなのでは?という主張。
原文の苦はdukkhaですが「苦しみ」とも「不安定で空しい」とも訳し、この場合は、後者の「不安定で空しい」を取ったほうが自然だと。
こっちを取れば、
『全ての記憶やパタン(サンカーラ:行)は、不安定ですぐ変わってしまい空しい。』
と訳せて、意味も通りやすくなります。
■全てが苦、というわけではない
そうなんですよ。そもそも論として一切皆苦は現実とは一致しないわけですよ。
ある瞬間をかんさつすれば、痛みは痛みであり、苦自体とは別であり、『痛み即苦しみ』ではありえない。結果として最終的に苦の引き金になるにしても、その瞬間苦でないものは、苦ではないわけです。観察的事実と一致しない。
苦の種ならわかりますが。
■一切皆苦は有害
そうなんですよ。仏教の本読むと最初に説かれてるのがこの「一切皆苦」で『全ては苦だ』なんですよ。
だから『あらゆること、あらゆる認識は全て苦につながる』ので『一切を苦しみと感じられないのは見識が浅い』ってなるわけです。
でも、それでは自虐的で、鬱になりかねない。厭世的で、人生を無駄にすることも。有害。仏教の暗いって言われてる部分の主な部分がここに集約されてる気がします。
■前後を合わせると
三法印の元になったダンマパダ277と278を合わせて私が超意訳すると、
『全ての記憶やパタン(サンカラ)というのは、すぐ変わってしまい空しい。それ(サンカラ)が本質でないとに気をつける知恵を働かせていれば、人は苦しみから離れ遠ざかることができる。これが心穏やかになる道です』
これは、穏やかにいきられそうですな。鬱とかにも効きそうなくらい。
■一切皆苦は、ほかにも誤訳が
そういえば、スマナサーラ師も、
『「一切」も「皆」もおんなじ意味だろ、重なってるよプギャー』
『強いて言うなら「一切行苦」なんじゃねのーホジホジ』
って言ってましたね。ここも誤訳。
■■リンク
このサイトには、三法印の、それぞれの新訳も紹介されています。
■一切皆苦
--ダンマパダ278--
「サンカーラ、つまり全ての記憶やパターンやエゴというのは不安定で空しく、
それらが不要であると理解すれば、
苦しみから遠ざかり離れることができる。
これこそ人が清らかになる道である。」
・一切皆苦は間違い?
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-49.html
・一切皆苦はやっぱり間違い
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-182.html
・一切皆苦の矛盾
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-183.html
・一切皆苦は絶対間違い
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-240.html
■諸行無常
--ダンマパダ277--
「サンカーラ、つまり全ての記憶やパターンやエゴというのは無常であり、
それに縛られる必要がないと理解すれば、
苦しみから遠ざかり離れることができる。
これこそ人が清らかになる道である。」
・諸行無常は間違い?
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-48.html
■諸法無我
「全てのダンマ(法・宗教・教え・法則・教義・ドグマ)というものは、
それ自体単独で存在してはおらず、真理そのものではない。
(つまり方便であり月を指す指であり月そのものではない。)
このことを明らかな智恵をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。」
--ダンマパダ279--
・諸法無我は間違い?
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-50.html