神田神保町の低年齢者恋愛自主権剥奪法(通称児童虐待記録流通禁止法)ガサ入れのニュースを見て、思い出した。
-- 関連
29万円の写真集も 神保町の古書店、児童ポルノ容疑:朝日新聞デジタル
--ロリコンぶ~むによる洗礼
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1979年のシベールから1989年の吾妻ひでお失踪までが、ロリコンぶ~む(と、とりあえずしておく。1987年のプチトマト筆禍の方がイメージに近いかもわからん)というのがあった。
--関連
年齢的に、僕たちはジャストオンだった。ロリコンと呼ばれるのを恐れて、下級生に対する恋愛に対して強い抵抗感があったのを覚えてる。それどころか同級生に対する恋愛でさえもロリコン枠だった。
今考えれば、高校生が中学生に恋しても、それは普通のことだろうに、当時は変態行為の様に考えられてた。
あるいは、その普通の恋愛がトラウマのように、自分にロリコンの刻印を刻んで、自分を変態者であると決めつけてた人もいたように思う。
つまり、1983年ころの中学高校生は、ろりこんコンプレックスによって、男性機能を傷つけられて、恋愛市場に切り込めなかった人が多くいた様に思う。(前の世代だとサブカルに入るんだろうか?の人たち。後のオタクとも言い切れない)
しかるに、僕たちは準備もままならぬまま、80年代恋愛至上主義に飛び込むのだった。
--80年代恋愛至上主義
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恋愛至上主義時代がいつからか?というのには議論があると思うけど、まだチン毛も生えないころには始まってたように思う。(1976年のPOPEYE創刊よりも後なのは間違いないと思う)
それが行き着くところまで行ったのが1985ごろで、1995には終わった様に思う。
僕らの時代よりも5歳前だと、「女は少し持ち上げれば...」という状態だったのに、ボクらの時代である後半は「アッシー、メッシー」に代表されるように、過当競争により、男に非常なカロリーが求められる時代で、真面目に「人類史上、もっとも男が安い時代」だったと考えてる。
それに比べると、つくづく今は女がお安い時代だと思う。
そう、前期恋愛至上主義世代と、俺たち後期とには分断がある。
島耕作のスピード感は、『君に届け』を2コマで置き去りにする – マンバ通信
この記事を読んで思い出した。「少し持ち上げれば」の前期恋愛至上主義世代って、島耕作を支持した世代でもあるんだよな。
後期は、例えればめぞん一刻世代だ。(それでも僕らよりも上ではあるが)
そのころの日経エレクトロニクスにのってたいしいひさいちの漫画にこんなのがある(切り抜きを持ってたはずだけど、失念)
--結婚相談所にて
職員「どのような方をお望みですか?
女の子「メーカーエンジニアで、マジメで、優しい人
職員「うーん、その条件は難しいですね
女の子「そんなに高望みなんでしょうか?
職員「おすすめするのに迷うんですよ。履いて捨てるほどいるので。
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メーカーづとめだから結婚は諦めろ、と、真顔で言われてた時代だった。
苦労したし、結局うまくゆかなかったけど、後悔はしてないです。
ただ、あの頃の俺のまま、今の25歳だったら、モテモテなのはまちがいないなぁとは思う。
うらやましい、は、うらやましい。